社交性と精神の豊かさについて

ショーペンハウアーは社交性と精神の豊かさは互いに反比例の関係にあると言った。

精神の優劣を定義するのは非常に難しいことだ。

そして、社交性の無さを批判されることはあっても精神を批判されることはない。

前者は努力や意識の変革でなんとかなるということになっているが、後者にはそういう風潮はないように感じる。

俺は社交性がないから、その分精神が豊かだ、と自分で言うとなんだかキツイナルシストみたいな雰囲気になる。

ただ、社交性があるということは同時に何かを失っているというのは真理だと思う。

物事には裏表があるし、互いに背反なものばかりではない。あるところからは、よく見えても、ほかのところからではそうでなかったりする。月並みな話になってしまった。

精神的に優れていたとしても、顕現化できなければ他者からは軽視される。

だから、コミュ障は、どんな形であれコミュニケーション以外で自己を表現しようともがく必要がある。偉大な芸術家にならないと知っていても、出力それ自体に価値を見出す努力をしていかねばならない。