自分はどんな人間なのかと言うことについて考えていた。自分とはどのような人間か、実像を捉えるのは困難である。周りの人間に聞いたところで正直に答えてくれるはずもないし、その人から見えた自分は一つの像にすぎない。

性格テストなど受けても、あまりピンとこない。自分は優しい人間であるようにも思えるし、反対にとても冷たい人間であるとも言える気がする。自己イメージが安定しない。

なんとなく見えてきたのが、自分はどうやら完璧主義なところがあるということだ。

俺は人間は欠点を克服する努力をするべきだと思っていた。ただその努力は大体のところ実らない。でも努力するしかない。それしかできることはないからだ。一滴黒い絵の具が入るだけで、どう頑張っても完璧な白にはならない。けれど、白い絵の具は注ぎ足し続けるべきだ、と。

ただ、そういう姿勢をとると心のエネルギーを消費する。そして結果的に正しい努力ができていたかは疑わしい。

 

繰り返すが、物事は努力によって解決しない。

それは真理だ。おびただしい数の、複雑な要素の絡みによってこの世界はできている。俺一人がどうやっても影響力はたかが知れている。

そういう諦めは、理性では必要だと訴えるけど、こころのほうはそれを受容しない。

根底には、完璧でないと人から愛されないという誤った思想、強迫的観念があるようだ。

ありのままの自分を愛せ、などと自己啓発本を読むと耳にタコができるくらい説教をされるが、そう簡単なことではない。

その思想は、老人になってもアルコールに溺れて、寂しさと戦っている、おそらく愛されたという実感が持てなかった人々の、別に珍しくさえない、かけがえのない人生を侮辱しているのではないか、と思ったりもする。

彼らは彼らなりに毎日精一杯生きてきた。ただ、最後まで自分を愛せなかった。とても悲しいことだ。

運命という一言で片付けられる問題かもしれない。ただ、無力感を感じながら、このくだらない人生を、 生きていくしかないのである。