つまらない女のほうがもてる ユングを読んで

女性からしたら何の面白みもない女性が男性にもてるのはよく観測される〈らしい〉。

これはアニムスが未発達だからである。これが発達すると、男性からのアニマからの投影を受けにくくなるのだ。

ユングは、夢の中にある異性像を男性、女性それぞれにアニマ、アニムスと名付けた。

これを理解するのにはまずペルソナについて。

外界に接するときに作るキャラ、仮面をペルソナという。男性には力強く論理的な態度、女性には優しさとか従順さなどが期待される。

それに対して、内界に接するときはそれと反対の機能が働く。男性であれば弱弱しく非論理的なものである。これが心像としてあらわれるときは、女性像としてあらわれる。

ペルソナを洗練させることは社会生活を送るのに重要な意味を持つ。場所が異なれば外界から期待される役割が異なるわけであるから、それによって仮面を変えなければいけない。よって、ペルソナを発達することを怠る人は外界とうまく適応できない。

男らしさが強いペルソナを持っている男性の内には女らしさ、アニマがありそれによって平衡が保たれている。女性の場合はその女らしさをアニムスによって補償する。

厳しい男性が浅薄な同情によって失敗したり、いつも愛想のよい女性がテレビを見た情報をもとに偉い先生に演説をしたり、そういうことがたまにあると思う。

それは彼彼女のアニマとアニムスによって引き起こさている。

さて、男性の心の中にある女性像は、外界に投影されることによりその性質の一端が理解される。アニマには発達段階がある。まずアニマの前過程として母親の像を男性はもっている。母は甘さと全てを呑み込む性質を持っている。それゆえ、いつまでたっても母親に抱かれていてアニマの発展が制止されている人は多い。

まず、母親離れをしなければ恋愛をすることができず、いわゆるドンファン〈ヤリチン〉に実はマザコンが多いのはこのためである。

次段階で近所の年上の女性とか先輩、いわゆるお姉さんキャラの像も似たような性質を持っているが、

多少は発達している。母以外の女性に自分の心を揺るがされているからだ。

それで次は女であれば誰でもいい、娼婦型の像、一人の女性を愛そうと試みるロマンチックな像、聖母マリアに代表される霊的な像、と発展していく。日本男性は娼婦型、ロマンチック型で止まっている人が多い。

西洋に比べて、日本ではアニマの開発は抑えられてきた。「家」を守るためだ。日本ではロマンチシズムよりも娼婦文化のほうが美的洗練を受けている。〈江戸時代の芸妓などに代表されている〉

次にアニムスだ。女性は所謂女らしい外的態度に対して、無意識内には劣等な論理性や強さが集積されている。この男性要素は、頑固さに現れることが多い。

アニムスも四段階に分かれている。力、行為、言葉、意味と発展していく。

普通の男は、女性がアニムスに目覚めることを好まない。特にマザコンにはモテないし、また目覚めた女性はマザコンを非常に敵視する。

実際、普通の女の子は自分の中のアニムスに全く気付かなかったり完全に抑圧している人が多く、これらの女性は個性がないので男性のアニマ像の投影の対象に最適である。だからめっちゃもてる。モテて幸せになりたい女性は間違ってもアニムスを発展させないように。アニムスが発達している例として、上昇婚思考のバリキャリなどが代表される。モテてない・・・、けど、彼女らは自我の統合という面ではとても豊かな生を送っている。

参考「ユング心理学入門」河合隼雄