写真を撮るということについて

俺は写真を撮らないほうだと思う。確実に撮らないほうだ。

どれ位撮らないかというと、ホストファミリーと2日間過ごした時に撮った写真は3枚程度しか残っていない。子供が可愛かったからつい撮ったくらいで、別に構図やらなにやら気にせず撮った写真が残っている。

今の人、というより俺も今の人なんだが、一般的に写真をいっぱい撮る気がする。

インスタグラムというものが流行っていることから見て取れると思う。

俺が写真を撮るときは、別に見返すためではなく今こういう状態に立たされてるよ、という状況をシェアしたいときが一番多い。その面ではインスタグラマーと変わらないところはあると思う。彼らは「今」共有して共感を得ることに注目していて、過去に残すという気概を持って行動しているわけではない。

それとは別に、写真をよくとる人の中には必ずしも写真が趣味というわけではなく、世の中には今あった良いこと、良い場面をあとから見返すために撮る人がたくさん存在している。

俺はその人たちの気持ちにいまいち共感できないところがある。

良いことがあったなら、多分忘れることがないだろうし、脳内で勝手に美化されるから都合がいいと思う。空も、海も、山も隣にいた彼女もみな美しく脳内に補完されているのに、あるとき写真が事実を明らかにするのが、怖い。動画なんて論外だと思う。

でも、仲良かった人の顔も会わなければ忘れていってしまうのかもしれない。超長期的にみれば写真は確実に撮っておいたほうがいい。ただ、自分は5年先のことでさえ見据えて行動する余裕がない。これが俺が写真を撮らない理由といえるのかもしれない。