自分はどうやって受験を乗り越えたか

受験の話をするか。

俺の親父は高学歴だ。だから子供のころから割と勉強させられた。

そんで高校は県内でも割と偏差値が高い公立高校に入学した。

1年の時は割とその中でも上の方で進研模試とかいうなんちゃって模試で75くらいだったので多分旧帝早慶くらいは行けるんだろうな~って思ってとりあえず東大を目指すことにした。

2年のころ親の転勤で九州に引っ越した。そこは別に偏差値は高くないけど自由な校風で、大学みたいなところだった。

そんで授業は基本内職してて、午後は駿台予備校に通いながら勉強してた。

割と勉強してたけど駿台模試では60弱くらいの成績でずっとDかE判定だった。

正直まともに勉強してこの時点で東大は厳しいのだが、予備校生活のような生活を送っている自分がこの事実を認めるはずもなくそのままずるずる勉強してた。

そんで3年になって東大模試っての受けたら英語以外偏差値40下回っててさすがにこれは厳しいと思った。で、なぜか医学部を目指すことにした。

受験をまともにした人なら知っていると思うが地方国立医学部は東大一般学部まではいかないがとても難しいのである。

で、センター試験を受けて8割ぎり行かないくらいで〈国語で小林秀雄が出た、死ね〉

センター足きりがないところを受けてまあ普通に落ちた。

ここまでは自分は勉強不足だから落ちて当然だなと思った〈確かに勉強不足なのは事実ではあったが〉

浪人して、現実を知った。河合塾に入ったのだが講義にまったくついていけなかった。

春に受けた模試はDよりのE判定だった。この時期に浪人は最低でもBはとらなくてはいけない。夏ごろに初めて女を知って〈割愛〉、さらにまともに勉強しなくなった。

理科が全くできなかったので、理系は向いてないんだとあきらめた。そんで旧帝文系を目指そうと思った。ここで問題となってくるのが、センター社会だ。

まったくできなかった。本当にまったくできなかった。倫理政治経済は7割後半はいったが、地理は全く興味が持てず〈日本史は論外〉勉強をまともにしなかった。

本誌を受けたら、南アメリカが出て破滅した。多分40点くらいだったかな。

そんでセンター1日目で俺が行きたいような国公立は無理だと判断し、私大に切り替えた。数学選択〈アウトローな奴が多い〉でなぜかマーチで一番高いところに受かってしまった。〈早慶はさすがに落ちた〉

そんな感じで一個目の大学に入りましたとさ。受験は疲れる。

結局三教科しかできない人間で、そういう人間には浪人は無駄だったという話でした。