何のために文章を書くのか

人に何かを提供するために文章を書くには多大な労力がいる。たとえば俺が愛についてここで1時間かけて書いたとする。読者が十分に頭がいい人だとして、それを読むくらいならカントやアリストテレスの愛についての考察を読んだほうがいいのは明らかであるように思える。

頭が良くない人だったら、もしかしたら俺の文章を読んだほうが得るものがあることもあるかもしれない。その場合なぜか、これは結構難しい。よく考えたけど、簡単に言うなら大体は知能の程度が同じ人と気が合うという事実に関係がある気がする。

俺がもう少し具体的な物事について書けば、価値が生まれることもある。その物事についての考察に需要がある時に限られる。

人は、他人の文章は得る価値があるものがないと読まない。例外として、みんながいいと言ったものはそれが実際価値がなくても読む。

親しい人の文章だと、だいたいは読む。文章に背景が生まれてくるからだと思う。

背景とは、その人の人となりだったり、その人との関係性だったり色々だ。

俺は何のために文章を書くのか。本当だったらこんな駄文はチラシの裏にでも書いておけばいい。でも、誰かがどんな目的であれ自分の文章を読んでくれることはうれしいし、脳汁が出る。次はもっといい文章をかくぞ、そういう気概がないとやっていけない。

俺は、全くの他人に読んでもらうほど価値のある文章を書くことができない。だから親しい人に読んでもらいたい。頼む、たまにでいいから・・・・